2013年12月9日月曜日

広沢の池 鯉揚げの副産物

モロコ
 嵯峨野の広沢池で池の水を抜いてコイなどの魚をとる「鯉揚げ」は、毎年この時期になると聞こえてくる冬の便り。水が抜かれた池の中へ腰まで入って、網で勢いようコイやフナ、モロコをすくい上げるのを新聞などでは知っていたけれど実際に出かけてみたことはいっぺんもなかった。
 それが、昨日の夕方にこの池で揚がったモロコを頂いた。艶やかな小魚は、さっきまでピチピチ跳ねてました、て顔。
わが家だけでは食べきれへんので、喜んでもらえそうなところへおすそ分け。届けますて電話をしたら、いやいやこっちからもらいに行くと言うて、飛んで受け取りにみえた。知ってますか、これを先に横向きに焼くか、頭を先に焼くか。ウンチク語り合いながら炭火で焼くだけで酒の肴になりますねん。と言い残して帰られた。

わが家もさっそく炭火で焼いた。ガスコンロの上に、手製の細かいステンレスの二重焼き網を置いて炭を並べてガスを点火。炭がおこって来たらガス火を消して串に刺したモロコを焼く。薄口醤油、米酢(1:1)に粉山椒を加えたタレを何度か塗りながら、じっくり、こんがり焼いていく。
体長は5.6センチと小ぶりながら、生臭みナシ、骨は柔らこうて、香ばしい珍味。久しぶりに、美味しいモロコを堪能させてもろうた。

残らず美味しい食べられたモロコ、きっと成仏してくれた。とは、人間の身勝手な言い分かな?

2013年12月4日水曜日

まめぶ汁

ほんのり優しい、初めての味
 料理の会で、ドラマで知った『まめぶ汁』を作ってみた。胡桃と黒糖の入った小麦粉のお団子を具沢山のお汁のなかに入れると、どんなことになるのやろ?いやいや、以外に美味しいのかな。煮干と昆布で出汁を取るて、この組み合わせも馴染みがない。
 まず小麦粉をこねて、くるみと黒糖を入れていく。
 包み込んで、クルクル丸めて。ひとつ、ふたつとまな板の上に まめぶ が並んでいくのが楽しいですね~。でも、あんまり作ってNGだったらね~。1人5個ずつにしておきますか。とか言いながら。
 

 はい、こんな感じでしょうかね。 ふーん、この団子のことをまめぶ って言うんですね。
 
具はレシピによっていろいろのよう。今回は、かんぴょう、干し椎茸、油揚げ、人参、ごぼう、しめじを入れることにした。具の形や大きさをまめぶに合わせるように気をつけた。味付けは、醤油。とだけ書いてあったけれど、手元にあるのは、関西の濃い口と薄口。しょうがないので、薄口醤油と塩で味を調えた。さて、味のほうは?
黒糖の甘み、くるみの香りは、そのほかの具の旨みと合わさっても違和感なし。初めて食べた東北の郷土料理は、ほんわりと優しい味わいやった。

2013年12月2日月曜日

お正月のお漬もん

おくもじ大根を漬ける
 今朝、1週間ほど干してあった山田大根がしんなりしたので漬け込むことにした。「アンタが漬けるか。」こんなときの母の声は、えらい頼もしい張りのある声に聞こえる。「はい。」と返事してる娘の声も、いつにのう従順でしおらしいなる。家の味は、数字で計って書いた記録で伝わってきたものやのうて、直に見聞きしてきた感覚が記憶に刻まれることで受け継がれていくのやな。「塩、こんなもん?」「もうちょっと、そのあわさいのとこ、撒いといて。」「はい、こんなもんか?」「アー、そんなもんかな。」と、まあ、こんなやり取りをしながら今年も20本漬けた。押し蓋をしながら、「どうぞ、美味しい漬かりますように。」と母のまじないの呪文。まずは、順調に水の上がってくれるとええのやけれど。早々(はやばや)と、お正月支度をひとつ終えた。
太短い形をした大根は、山田大根、ねずみ大根などと呼ばれていますが
わが家ではおくもじ大根と呼んでいます。大根に葉を巻きつけて漬けていきます。
「おくもじ」になるこの大根は、塩だけで漬け込みます。

 

2013年11月30日土曜日

11月の親子会

いもぼう
京都の冬野菜「えびいも」を干した棒鱈といっしょに炊く「いもぼう」。親子会の題材としては、かなりハードルの高い内容やったけれど、2組の親子に参加してもらえた。用意した材料は、「京いも」とも呼ばれてる京都産の「えびいも」。しっかりとして、形も整うた立派なお芋の皮をピーラーを使うて剥くとこから炊き上がるところまで、じっくりと観察しながら作っていった。
途中、昆布の出汁、棒鱈の味、削り節の香りが付いて、味わいが変化していく経過を、子どもの舌は機敏に感じるようで、発する言葉のひとこと、ひとことの的確さには感心した。
土鍋のなかの冬のご馳走は、鱈の身、お芋は無論のこと、出し昆布、そして煮汁まで、きれいに空っぽに親子のお腹に入ってしもた。
「あー、美味しかった!!」何により嬉しい一言が子どもたちから聞けてよかった、よかった。。


2013年11月24日日曜日

太子山の年中歳時

お火焚き
 お火焚きは、ご本尊のたいっさん(聖徳太子像)の収められてるお蔵の前にお町内の人たちが集まって護摩木を焚いてお参りをする年中行事。仕事をするにも、食するのにも「火」は欠せへんもので、扱いを誤ればすべてを失うてしまう怖さも持ち合わせてる。「火」への恐れ、「火」への感謝。今の時代、その気持ちを持ち続けることはなかなか難しい。こんなふうにして続いてるお町内の年中歳時が、これからも受け継がれていきますように。。
お蔵の前で焚かれる護摩木は、お町内の家々から集まってきたもの。
護摩木には、家内安全、無病息災、そして家族の名前を書くのが慣わしです。
お参りを終えた後は、お供えしていたみかんやお芋をこの焚き火で焼きながら
火を囲んでしばし歓談を楽しみます。
(焼きみかんは風邪封じのおまじないと言われています。)
半紙に包まれたまだ温かいこのお下がりは
お火焚き饅頭、柚子の香りのおこしといっしょに家々配られます。
 

2013年11月21日木曜日

会津から届いた

冬の便り
西山に雪が3回降って、まもなく里にも降りてくるでしょう。

朝、福島のSさんから初冬を迎えた会津の写真が届いた。
裏磐梯山に雪が積もってる。
いつも、美しい写真をいただいたら、ええなぁ、行きたいなぁ、と母とため息。
京都も今朝はキュッと冷えて、お蔵からストーブ(5台)を全部出してきた。

2013年11月19日火曜日

お茄子畑を訪ねて

嵯峨 大覚寺
 すっきと晴れた日曜日は、久々に大覚寺へ出かける。ときどき買い物に立ち寄ってる地元野菜販売テントで顔なじみになったHさんに、収穫期を終えたお茄子の木を分けてもらえることになり、畑を訪ねるのが目的。大覚寺のバスターミナル、お土産店の横道を歩いてきてもろたらその辺の畑に居ますので、とのこと。市バスを降り立ったら、観光客でいっぱい。どこに畑が?とキョロキョロしてたら、茶色い毛糸の三角帽子に長靴姿のHさんが手をふりながら歩いて迎えに来てくださる。
 観光名所のすぐ傍で、田畑、竹林を守って生計を立てる嵯峨野の住人が、こんなふうにして居られるのや。新しい建てられた住宅に追いやられて、田畑はなんか窮屈そう。こんな長閑な風景が、整然と広がる嵯峨野がもしも蘇ったら素敵やのにな。と、ふと思うた。
 
お茄子の木は、再来週に家まで届けていただくことになった。
今年は例年よりも多いめに祖母のおつけもん(漬物)「ひゃくいち」を漬ける予定。これで、必要なお茄子の葉っぱを確保することができた。


 目的の用をすませた後は、久しぶりの嵯峨を歩いた。途中、久しぶりに、落柿舎近くの厭離庵、小倉池傍の喫茶アイトワへも立ち寄ってみることにしたら、ご住職手製の「たくわん」をいただいたり、お庭で熟してる「くぼ柿」を高枝バサミで切ってもろたりと、思いがけずお土産つきの嬉しい再会が待ってた。
 それにしても、渡月橋、嵐山駅周辺の雑踏はすごい。人ごみを掻き分け嵐電の切符を買うて、いそいそと帰路についた。



 





2013年11月14日木曜日

お火焚き

護摩木 
 今年、わが家は一組の組長。家人の名、家内安全、無病息災など祈願の文字を書いた護摩木が集まってきた。毎年、この護摩木がお町内から回ってくると、あぁ、また冬がくる、今年も終盤にさしかかってきたのやな、と思う。
 町なかのお饅屋はんの店頭にも、「お火焚き饅頭」て書いた長方形の大きな張り紙が下るようになる。じょうよ(上用、正式には薯蕷と書く)の紅白のお饅は、楕円形でその真ん中に火災宝珠の焼印がジュッ!と押してある。
 お火焚きは、京都に冬を告げる風物詩。
 
 

2013年9月19日木曜日

十五夜 お月さん

蔵の縁から見えた!
 二階の窓から見えたけどビルの真上で近すぎたさかい、蔵の前の縁側に行って撮った。と母。
紅葉の葉っぱのちょうど合い間にまんまるお月さんの写真は、なかなか幻想的に撮れてるなぁ。
喜寿のお祝いにプレゼントしたi phoneはこの夏一緒に5に機種変更。いまだに、アレ?メールがどっかいってしもた。とか、文字を打つ画面はどうやって出すの?とか尋ねられることがあるけれど、カレンダーにスケジュールを入れるのと、写真を撮るのはすっかり板についたみたい。
奥庭の突き当たり、土蔵の縁側から撮影。

2013年9月18日水曜日

建具替え

やっぱり、ホッとする
 各地に大変なダメージをもたらした台風が過ぎ去ったら、にわかに涼しさが舞い戻ってきた。今年は例年よりもちょっと早まったけれど朝から建具替えをした。
研究室の教え子を引き連れて手伝いのボラインティアを名乗り出てくださっているA先生は、もう何年助っ人の名乗りをあげていただいているやろう。すっかり要領を得ていただいてるので安心してお任せすることができて、ほんまに助かる。感謝やな。
 2人の学生さんと先生、そして私と母の5人もいたら2時間もかからずにすっかり冬の室礼(しつらい)に戻すことができた。畳、襖、障子に囲まれた室内、「いやー、やっぱりいいですねぇ!落ち着きますねぇ。夏は夏で、いいですが、やっぱりこっちがいいですねぇ。」と、一息ついて熱い番茶を飲みながらA先生がおっしゃった。まったく同感。毎年、毎年、建具替えをすませたら母と2人で言ううてるセリフ。
 さてさて、明日は9月の御祈祷。午後からは供物に必須のザクロ、紫苑のお花、仏さんのお花の準備に自転車で走る。床の間に祭壇の準備、夕飯後には、餅つき機を出してきて二合のお鏡さんとおけそくさん(仏さん用の小餅のこと)を作って、今日は朝からフル回転の一日になった。
蔵から襖を運び出すときはぶつけないように慎重に運びます。
前後左右、手元、足元に神経を集中させて中腰になっての移動は慣れていないと難しいのです。
籐筵は巻きながら裏側もしっかり汚れをふき取ります。

室内に入ると鴨居や柱などの障害物があるので、ますますゆっくりと丁寧に運んでいただいていました。
 
 

2013年9月1日日曜日

今朝の裏庭

オンブバッタ

雨上がり裏庭、ホトトギスやらミズヒキソウ、シュウカイドウも咲いてきた。ウロウロと眺めてたら、ノコンギクの小さい草むらにオンブバッタを発見!今年も居たの?秋めいてくると現われるのやね。このバッタ、大きいほうがメスで上にチョンと乗ってるのがオス。

 

2013年8月6日火曜日

異常な豪雨

降り蹲・記録的浸水

 今朝の新聞を見たら、市中の各所が冠水した記事。やっぱり、、これは異常やと感じたはず。
わが家は今、庭周りの屋根の葺き替え工事の真っ最中で、古い雨樋を外したとこにガムテープで止めた仮のビニール袋に雨水を流してたさかい、行き場を失うた多量の雨水が、一気に奥庭に流れ込んだ。雨水がドーッとビニール袋を通って直接庭先に流れ込む。降り蹲はみるみるうちに泥水の池。ビニールを止めてたテープもはがれる。大工さんは午後から不在。アカン!このまま放置してたら水はあふれて床下に行く、、、ワー!大変や!!
 はがれたテープを止めなおすことはとても無理。しょうがないので、びしょぬれになりながらはがれたつなぎ目を手で補うて、排水溝へ水の流れを促すこと10分。いちばん多量の水をなんとか逃がして耐えた。降り蹲の燈篭の火袋の上まで浸水したのは初めてのこと。あの10分の間放置してたら、廊下の床下まで水がきてたかも。
 それにしてもこの降り蹲の治水装置としての役割はおみごとで、多量の泥水は、みるみるうちに地中へ吸い込まれて、今朝は何事もなかったみたいにケロッとしてる。
 今日も湿度が高い、お昼からの雲行きがちょっと心配。
左手の小さい庭石ギリギリまで泥水に浸って、手前に植わるクチナシも2/3ほど浸かりました。

2013年7月30日火曜日

アルバム⑤

セミ捕り
毎朝、奥庭の樫の木でクマゼミが鳴いてるけれど、今年のセミは伸び伸び鳴いてるように思う。
セミ捕りをしてたムーンはいつも真剣やったな。

2005年8月2日
2007年7月26日
2009年8月2日
2009年8月2日
2010年8月10日
2010年8月11日

2013年7月19日金曜日

復元新調

太子山の荷茶屋(にないじゃや)


 今年はお町内で復元新調された荷茶屋(にないじゃや)のお披露目のお祝いもかねて、山鉾巡行途中、観衆の前で実際に献茶のパフォーマンスもされることになり、奔走されたお町内の方々はさぞや大変やったことやと思う。
 
 偶然の積み重なり。いろいろなご縁の糸を、お茶の神さんとたいっさん(太子山の御本尊)が繋げてくれはった。お世話になった方々がそんなふうにおしゃってたけれど、ほんまにそう思う。こうした皆さんで走りまわった結果が上の写真。小ぶりの風炉、釜がぴったりとおさまり、桶、柄杓、のほか、一式のお道具が納まった荷茶屋は生き生きとして見えた。
 実現に向けて、部屋中に文献を広げて荷茶屋の絵画資料を調べていただいたり、茶道具やお茶の立て方まで時代考証いただいた皆さんのお陰。
御池新町で山鉾連合会理事長 吉田さんに一服のお茶を立てる谷口さんは
ここ数年、わが家の宵宮で美味しい煎茶をご奉仕いただいている宇治田原のお茶師さん。
お茶は、宇治田原展茗(てんみょう)のお抹茶。山田知事命名の品種茶とのこと。
美しい所作に、どこのお師匠さんですか?と訪ねられる人もあったのだそう。

よく似合ってられました。前世は荷茶屋を担いで京の都を歩いてた? 

2013年7月18日木曜日

お祭り、終わる

表も裏も賑わって

 7月14日の山建ての日から、あれよあれよと過ぎた4日間。入れ替わり立ち代り、100人ほどの人がみえた。ひとり、ひとりのお顔が見えて、ゆっくり座ってもろうて歓談の時間を持つのには、ここらが限界かな。。折敷に鯖寿司とおこわ。今年も、宇治田原のTさんの美味しい水出しの煎茶を楽しんでいただいた。
 オダイドコの裏方には、ここ数年、行きま~す!!と、買ってでいただいてるTさんがはしり庭に勇ましい出で立ちで仕切ってくれはる。そこへ今年はこの冬から熱心に毎月通うて来てもらってる料理の会のグループ立命なでしこの会(自称)が向学のためにと参加。Tさんの厳しい指導にもめげず、朝から晩遅うまで手伝うてもろうた。終わる頃には目の輝いてきた会の面々。まだまだぎこちないけれど、いつもと違うた家の中の雰囲気、とっかえひっかえ訪れる人への応対、切り盛りの大変さを「おもしろい」と感じるようになったそう。


 中の間に立てた屏風の前は、今年も大輪の祇園守。大きな真っ白い花を毎朝裏庭から切ってきて生ける。その昔、祇園さんにこの花を一輪入れておくのには、こんな意味合いがあったのやとか。この家には年頃の娘がおります、と。。


そして7月17日巡行の日の朝は、5:30にお町内の皆さんで懸想品を山に掛ける。写真は前掛け、胴掛けを掛ける下布を取り付けてるところ。濃紺の本藍の木綿地に大胆な太子山の文字がなんと格好ええのやろうか!と感動。下布やのが惜しいほど↓
 
7:45分、山と一緒に巡行に向われるお供の皆さんを見送った。


2013年6月22日土曜日

アルバム④ 庭を見る

何を見てたの?毎日、朝に夕に、こんなふうにして庭に佇むのが日課やった。この濡れ縁に佇んで、真っ暗闇に包まれた庭先をみてるムーンに、「何が見えんのや?」「お化けがくるぞ」て話しかけたな。

2013年6月17日月曜日

巣立ちのにぎわい

ただいま修行中
 チュン、チョン、チュン、チョン。チュリッ!!チュリッ!!チュリッ!!
表通りの電線あたりで聞こえたかと思うと、2階の窓のすぐそばで2、3羽がワチャワチャと大騒ぎ。いつにない騒々しさに、何事が起きたのかて思うてしまう。どうも、スズメの母さんが、子スズメを引き連れてただいま実地教育の真っ最中とみえる。
 昨日は、玄関に生ける花を切ろうとはさみを持って裏庭へ行ったら、一羽のスズメがポーっとした顔して突っ立ってて、、、。(ほんまに、ポーとした顔をしてたかどうか、定かではありませんが。)「アラララ、あんた、こんなとこで何してんの。」て、思わず話しかけてしもた。瞬間、上のほうからチョン!!!チチチチ!!!!と強い調子の鳴き声が落ちてきて(たぶん、母さんすずめ)、ポーとした子は、大慌てで声のするほうに飛び去った。
 今朝は今朝で、お便所掃除をしてたま後ろで、バシャ、バシャ!と水の音。何や?と振り返ったら、ピー、ピー、と、しおらしい鳴き声のヒヨ(ヒヨドリが、母さんヒヨに教えたもろうたわが家の手水鉢へ水浴びをしようと降りてきた。この子もまだ人間を警戒することを知らん様子。上から見てた母さんヒヨのピーッ!!!と、けたたましいひと声で飛び去っていった。
 近頃、静か過ぎるわが家に、ほのぼの親子の賑わい。なごませてくれてる。

2013年6月15日土曜日

アルバム③ 何が決め手?

 
ひっつきむし
 猫は付く相手を決めるていうけれど、正直なとこ、選ばれたほうはちょっとうるさいな。て、思うこともあったかな。まったく、犬みたいな猫やった。どこに居て、何をしても、必ず横に居た。出かけようとしたら、足首に飛びかかってきて噛み付いて「ワシヲホットイテドコヘイクノカ!!」と言わんばかり。お蔭で、飼い主冥利に尽きました。それに応えるだけのことも、せんど(十分に)やらせてもろうた。
2階の東の部屋。秋~翌年の春にかけては、この部屋の窓際にPCの机を置くことになってた。理由は、ここが唯一、ムーンが窓越しに朝の日光浴のできるとこ(場所)やったさかい。
そんなことで、机の上の1/3をムーンのフカフカのお布団が占有した。キーボードをたたく音を子守唄にして、たっぷり朝寝してるときのムーンは最高に幸せそうな顔をした。その顔を見てると、こっちも幸せな気分になった。
2013年2月8日 病気の宣告を受けた日。 タオルケットでモミモミ。

2013年2月28日 疼痛に効くとお見舞いに頂いたマタタビを包んだハンカチを枕に。

2013年4月5日 心ドタバタの飼い主を前に、まったくいつものペースで、淡々と朝寝前のモミモミ。

2013年6月10日月曜日

アルバム② 座敷机が来た日

新しいもん、大好き
 自転車で帰って来るのがなんでわかったのやろ。サドルから降りながらブレーキをかけて門口に近づくのとほぼ同時に、格子の向こうで待ってるムーンが土間に飛び降りるのが見えた。戸をあけたら、足元でスリスリして「オカエリ」と言い、今度は玄関ニワの真ん中にゴロンと仰向きになって、オカエリ、コロリン。コロリン、グルグル、コロリン。
お決まりのパターンもなくなって、寂しいこと。。

 さて、今日はこんな写真。
とにかく好奇心旺盛やったムーン。家のもん(者)が何事かあってバタバタすると、おんなじように付いて歩いた。これは仕上がってきた机が届いたのをとりあえず座敷に置いてみたとき。すました顔して、ピョンと飛び乗って「ナニ?ドレドレ、フ~ン」て。
「ちょっと、これ、ムーン!!あんたはもう!!」と母に言われたら耳をピッと後ろにやって
「ナニ?アカンノカ?」て顔。(ムーン7歳)

2013年6月8日土曜日

アルバム①

2000年8月 初めまして
 
今日で初七日。なんて、猫におかしな話なのかもしれんけれど、これまでの貢献度を考えたら、特別扱いしてもええかな。ときどきは、雑記帳も飾ってくれた13年を振り返ってみようかと思う。
2000年の夏は、雑記帳をスタートした年。まだブログみたいな便利ツールがなかったので、ホームページのなかに雑記帳ページを作って日付から書いて更新してた。 
 そうそう、お盆開けの暑い日に、五条大宮にあるペットショップから自転車の荷台にムーンを入れた段ボール箱をくくりつけて、ミヤァー!!!ミヤァー!!!叫ぶのをなだめながら連れて帰って来たのやった。夏のわが家は開けっ放し。どこへ飛んでいってしまうか心配で、しばらくのあいだ長い紐を柱に括りつけて慣れてくれるまで、大変やったな、、。
2000.8.24.(THU) 記
猫を飼うた。ペットショップ育ち12月生まれの雄猫は空調設備の整うたとこからエアコンのない我が家へ出てきたもんやからもうパニック!真っ赤な舌を出して犬みたいにハーハー言うてご飯も食べられへんし、長い間売れ残ってて狭いケージの中しか知らんかったんで放してやると不安がるし、どうなる事か心配したけど二日目からはふんぞり返って昼寝三昧。ちゃんと風の通る走りもとのタタキ(一番涼しいとこ)を寝場所に決めたみたい。ここが一番涼しいて、なんですぐわかるのやろか。好奇心の塊、誰にでもゴロゴロ喉をならして愛想がええのんは、どうも外国の血が流れてるせいみたい。まだびっくりしたらどこへ走っていくかわからへんし散歩用の紐をつけたけど、これも平気でいる。猫はよう飼うたけどこんな猫は初めて。タヌキみたいなお腹はあんまり無防備すぎて・・・
 
わが家に来て2週間ほど経ったときのスナップ写真。まだ猫格?もできてない仔猫顔。

2013年6月1日土曜日

ありがとう

ムーンの旅立ち

 口の中にできた憎き出来物との戦闘をやっとのことで終えて、今朝4:10分に静かに息をひきとったムーン。13年のあいだ、たくさん笑わせてくれて、和ませてくれてありがとう。感謝します。
6月1日。忘れようにも忘れられへん。おついたち(お一日)を命日にするとこも、なんとも君らしいと思うてますよ。これからも、天国から見守っててください。。


2007年5月 店の間にて撮影

2013年5月7日火曜日

新緑の丹波篠山

永沢寺の芝桜
 こどもの日の日曜日は、兵庫県三田市永沢寺の山里の芝桜見物に遠出することになった。人家の石垣を飾るようにして植えてあるのを見かけたことはあったけれど、これほど広い丘陵地一面に咲いたのを見たのは初めてのこと。花の間を縫うように歩いてると、花の香りに酔いそうなほどに香ってた。
 見上げたら五月晴れのたっぷりなお日さん。山の木のあいだを吹き渡るヒンヤリした風。自信たっぷりにさえずるウグイスの声も聞けて、のんびりした気持ちになった。
 
地面を埋め尽くして咲くことから 「花のじゅうたん」 と呼ばれる永沢寺の芝桜は
4月中旬~5月中旬までが見ごろ。

 帰りがけ、この山里に住まいしながら仕事、子育てに奮闘中の知人宅へも立ち寄ることに。ご主人作、ウォールナットのお皿を2枚いただいて帰った。
「居七十七 いなとな」