街なかのあちこちの桜がきれいに咲きだした。毎日のように買い物へいくときに通る仏光寺さんの裏門の桜(毎年、お花見の木と決めてるお気に入りの桜の木)もこのとおり。
美しい咲いてる。
京の町家 秦家(はた け)の日常
こないに春めいて「寒餅」でもないのやけれど、一昨日家族だけでお餅を搗いた。一升五合を3臼だけ。ポンポンと搗いて二臼を伸し餅に、もう一臼は半分だけを丸餅に。年の瀬みたいな高揚感のない淡々としたお餅つき。サッサと準備して、チャッチャと搗いて、片付けもまたサッサと終える。全工程始まりから終わりまで1時間半ほどやろか。

先月、七日正月に生まれた男の赤ちゃんの内祝が届く。このところお手伝いでお世話になってた女性が次々に結婚。お母さんにならはったのもこれで2人目。おめでたいことはいくつ続いてもええもんや。

相変わらず、せっせと畑菜を求める日が続いてるわが家。昨日も買うて帰ろうと青菜の籠の前まで来て立ち止まって読み込んだ。「何て・・?」畑菜の由来が書かれていたのや。
去年から行きたいと思うてたルーシー・リーの作品展。大阪、中ノ島にある大阪市東洋陶磁美術館にようやっと行って来た。
若々しい作品から晩年の大作まで、順を追って見ることが出来る。期間は2月13日(日曜日)までとあとわずかやけれど、これはお薦め。
今日は陽射しの暖かな節分になった。買い物への行きがけ、通り抜けた御苑でこっくりとした紅色の蕾を枝いっぱいにつけた紅梅に出会う。まあまあ、可愛いらしいこと!思わず携帯でパシャリ。
さらに下がって丸太町を越えてくると、今度は下御霊さんにも紅白の幕が架かってやっぱり節分祭の大きな文字が。
パン屋さんへ寄ろうと道を渡って歩いてたら、古布のお店のウインドウには、モノクロの鬼さんが胡坐をかいて。。昔からある魚屋さんの店先には塩鰯の焼いたのが並んで、目的のパン屋さんに入ったら、赤鬼のイラスト入りの豆パンが売ってあって、思わずおやつに買うてしもた。あっちをみても、こっちをみても、今日、京都市内は節分一色。
そしてわが家には、今年も壬生さんの厄除けの姫だるま。
清荒神は宝塚のひと駅手前。駅に着くと30分ほどの車中でのおしゃべりの賑わいがそのままホームから改札口を抜け参道へと流れ出ていく。皆、目的地は一緒やったのやな。そう思いながら歩いてたら、景気よう品物を並べた八百屋さんの店先に目がいった。お野菜も何でも安いのや。この参道はオダイドコを預かるモンにとっては危険地帯。こんなとこまできて野菜を買うて帰ることもないのやから。と思いつつ、ついつい気になって、、。そんなことやから、結構な道のりもアレアレ言うてる間に歩けてしまう。
1年さん~7年さんまで雛壇に並んだ布袋尊。
今朝は早いめに家を出て、阪急電車に乗って宝塚のひと駅手前の駅、清荒神に行ってきた。京都からは約1時間半、待ち時間や歩き時間を加えると片道2時間と結構な道のり。昔の人は、どないしてあんなとこまで行ってはったのやろて思う。
瑞々しい青菜、畑菜の旬の到来や!辛子をきかせた胡麻和え、そしておじゃこの出汁で作るお汁。これから毎日のように食卓にあがる菜っ葉。畑菜の辛し和えを初午の日に食べる慣わしが京都にはあるそうで、その所以もいろいろあるらしい。お稲荷さんのキツネは辛子が好物やった、、? ほんまかな~?? いずれにせよ、寒中の空気に鍛えられた青菜のやわらかさはなんとも美味しい。
手水鉢の水はシャーベット状。凍てたていうても、まだこれではほんまに凍てたとは言えん。
ツララも同様。まだまだ、ひこばえ。ほんまに凍てるとこんなことになるのや。3日かけて成長したツララの画像 → 雑記帳2001年冬1月17日
「みかん餅」初めて聞く食べ物やった。和歌山県の蜜柑の産地ではお母さんの味でもあるそうな。丸ごと搗き込んでしまうのにはびっくりしたけれど、確かに香り高いお餅が出来る。体を温める薬効もある果実をこんなふうにして子供たちに考えた和歌山のほんのりやさしい色をしたおふくろの味。
夜の会はこんなふう。ほんとに手元しか見えず。生の火炎は恐いほどに美しい、そして闇を照らしてくれるありがたみにあらためて思いを馳せて。。
灯明の明かりのもと、好日居の横山晴美さんの所作は美しかった。。1人の参加者から、1煎、2煎、3煎と頂いてるうちに体がホカホカと温まってきましたと伺うた。朝にはダイナミックな好日居風のお薄でスキッリと、お昼には中国茶のお友達と対座しての同時に同じ所作でのパフォーマンス。一席ごと、楽しめる趣向を考えていただいた。
くらがりでお菓子の色は想像しながら味わっていただくしかなかったところへ、こんな写真も頂けたのでご紹介。皮ごと蒸し上げたみかんを加えたお餅は、ほんのりとみかん色に仕上がってくれたのやった。作り方などは次回にご紹介でせていただこうと。。